わきやよしすけが語る道学


 道学

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 道 学              道理
                     
 学問
『道学』とは、

「道理を聴けば行動しなさい」ということです。
                       

王陽明『靖乱録』に(道学の意味)

今よく道学の二字を説かん。道は即ち道理、学はすなわち学問。道理あればすなわち学問あり。能くせざる者は学を待ちて能くし、知らざる者は問いを待ちて知る。問いは総てこれ学、学はすべてこれ道。故にこれを道学という。」
脇屋解説
「道学の二字について説明いたします。ここでいう道とは『道理』のことで、学とは『学問』とのことです。また、道理を知るためには、学問が必要と成り、この二つは一体のものでありますから、従って『道学』と名づけています。 
その道理をくわしく知ろうと思えば、努めて難しいことも敢えて実践行動することで、「なるほど」とその真価を体感することになります。
また、まだ十分に道理が理解されていない人は、積極的に質問して、道理の知識を学び、知ったからには、即、実践行動することによって、前者と同じように道理を体感して智ることができます。
このように道学とは、「正しい道理を実践する」行動学であります。従って、行動しているその姿そのことが道理を学んでいるのであります。
このように道理と学問のことを合わせて『道学』というのでありますが、道学を修めるということは、道理と学問の『不二一体の行動体験学』といえます。
注釈
 待ちて、とは「待」という字は、行人偏になっています。「行」とは行動ということですから、只、待っているのではなく、行動しながら待つという意味であります。
知とは、知識を詰め込んで頭の中で知っていることを「知」といい、そのことを「理」ともいいます。      
智とは、知識を実践行動に移すことで、そこから修得した知識を「智」といい、そのことを「事」ともいいます。
「理」(り)とは、道理・文証の理論のことであります。(理は理で破れるという)
「事」(じ)とは、事実すなわち「現実」のことであります。(事は事を生ずるという)
「王陽明文集」
「知は行いの意向であり、行いは知の実践である。また知は行いの始原であり、行いは知の成果である。」
と教えられているように、知るということは、実践する意志のあらわれであるといっていますから、反対からいうと、行動しなければ知ったということにはならない。ということを断言しているのであります。
「王陽明文集」
「立派な人間になろうとする志を立てたら、当然学問をしなければならない。それができないのは、志の立て方がしっかりしていないからである。」
この文を読むときは、「当然学問」の箇所を「当然実践行動」と解釈し読まないといけません。「志を立てたら、行動が第一である」ということになります。それができないのは、と
目的が果たせなかったときは、「志の立て方」(計画)が確りしていなかったこと、行動力(学問)が不足していたことに気づかなくてはいけません。でないと、どんな良い道(道理)を学び知っても何の役にも立ちません。
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道理について
道理とは、広辞苑によりますと、「物事がそうあるべき理義」「すじみち」「ことわり」「人が行うべき道」とあるように、「かくあるべき道と」いうことです。社会には政治界・経済界・各事業界・各組織界・各スポーツ界・各家庭界・人間界と、それぞれの世界には規律・きまり・約束ごとなどが存在しています。
 政治いわゆる国を治めるには、上記の七つの世界のすべてに「法令」がしかれています。法令を犯すと罪になり、そうした罰則規定に従って、人間の権利と尊厳、国家の治安が一応守られています。これらはすべて、人間同士が長い歴史の中で作り上げてきた規律でありますが、これも
「道理」には違いありません。この道理は知ると知らざるに関わらず、道理に違反すると一方的に裁かれることになっています。勿論、裁判の経緯はありますが、
 ここで課題にした「道理」とは、法律では裁くことができないもの、
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