教育 1  

礼記『学記篇』に
「君子たるものは、上に示したような事柄をとおして、教育を発揚するもとになるものはなにか、逆に、効果を減じていくことになるものはなにかをよく知ったうえで教育者となるべきものである。だから、君子が教えさとす場合の心がまえは次の三つに集約できる。
『学ぶものを力に応じ時に応じて導くことはするが、むりやりにひっぱっていくことはしない。』
『学ぶ意欲をはげますことはするが、意欲をむりやりある方向におし向けることはすない。』
『問題点をほのめかし啓発してやるが、一々細かい部分までも教えさとすことはしない。』

礼記『学記篇』に
「学ぶ者に四つの失がある。教える者はこのことをよく知っていて、これに陥らないよう気をつけてやらねばならない。
その一は、あまり多くを学んで智識をとりいれても、それが多すぎて身につき精通できないことである。
その二は、目標ばかり高すぎて地道な一つ一つの学びをおろそかにしてしまうことである。
その三は、学ぶ対象を軽く見て、自己の才能に頼りすぎることである。
その四は、学問の難しさにひるんで、自己の才能を及ばずとして、学ぶことを辞めてしまうことである。
この四つはいずれも同じ心からおこるのではないから、教える者がそれぞれの心をよく知ってはじめてその失を救ってやることができるのである。教育ということは、人の持つ長所をいよいよ増す一方、その失を救ってやることである。」

礼記『学記篇』に
「よく学ぶものは、示された端緒から自分で進んで学びとっていくから、教師は楽に教えていてしかもその効果はほかのものに倍する。そしてまたその結果を師のおかげと感謝尊敬もするものである。よく学ぶことをしないものは、積極的に学ぶ意欲ができあがっていないのだから、教師が一生けん命努めてもなかなか成果はあがらない。それのみか自分の努力しないことを忘れてしまって教師の教え方がまずいと反対に怨むに至る。よく質問して進んで自己の質問を見出し解決していこうとするものは、ちょうど堅い木をおさめるようなもので、はじめはその柔らかでたやすいところから先にし、節々の堅く難しいところを後にしていけば、難しいところでも自然に離脱して解けていくように、学問もはじめはやさしいところから質問し、次第に難しいものに進んでいくから、難しいものでも自然に解決していくようになるものである。要するによく問うものは積極的に意欲を持っているうえに、物事の難易の順序を体得していくところがよいのである。だからどんなに知恵がすぐれていても、質問することによって解決の順序というものを知ることがなければ、無駄な徒労をくりかえすことになるのである。
学ぶ者の質問・教える者の答えのあり方は、鐘を叩くようなもので、小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴るというふうであるから、教える者は学ぶ者の質問の大小を待ってそれに答え、学ぶものは効果をよく考えて質問しなければならない。答・問をおろそかにするものは、教える者学ぶ者の調和がうまくとれない。これらは学に進むに基本的な事柄である。よく心にとめておかねばならない。」

こうした基本は人生のどの部分にも通じるものであります。だから、拡大解釈をして家庭教育、学校教育、社員教育など、幅広く応用理解をして活用ください。



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